日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

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学芸室から 2008.07.07

<見学レポート>生野の七夕まつり

新暦七夕、銀山の町として知られる生野町(兵庫県朝来市生野町)を訪ねました。この町には、「七夕さん」と呼ばれる紙衣(七夕人形)を飾る風習が伝わっています。日本玩具博物館は、生野町口銀谷の旧家の土蔵に眠っていた明治時代製と思われる6対と4枚の七夕さん、それから明治42年、奥銀谷で製作された1対など、美しい千代紙で作られた資料を所蔵しています。

ブログ「学芸室から」2005年7月23日>でも一度、ご紹介しましたが、生野の七夕飾りは、短冊、投網、輪つなぎなどの切り紙細工を飾った2本の笹竹の間に苧ガラや細い竹竿を渡し、いくつもの「七夕さん」をかけて飾ります。数多い時には渡す苧がらを2段、3段と増やしていきます。そこに床机を出して、茄子や胡瓜、ホオズキ、南瓜や西瓜などの野菜を供え、天の二星をまつるもので、このような構図の七夕飾りは、生野や播磨灘沿岸地域以外には見られない独特の形態です。初節句を迎えた子どものために「七夕さん」を祝うとその子が生涯にわたって衣装に不自由しない、あるいは裁縫が上達するとして盛んに飾られたのは、生野については昭和初期頃までのことでしょうか。

2003年の七夕に生野を訪ねたときには、こうした七夕飾りを行う家は一軒も見つけられず、大正生まれの婦人方にお伺いしたお話によって往時の有り様を想像するのみでした。それが、七夕文化研究会のメンバーとともに訪問した2004年には、公民館やふれあいセンターなどで地区ごとに高齢の方々が集まって楽しまれる七夕会があり、その場にたくさんの「七夕さん」が飾られることを知りました。帰り際、生野の「七夕さん」はとても素晴らしいものだから、町を愛する皆さんの力で復活を!と、お願いしたことでしたが、以降、町並保存と町の活性化を推進する施設、それから、郷土愛にあふれる方々のお力によって、年を追うごと、生野らしい七夕さんがよみがえってきたのです。

口銀谷・井筒屋の七夕飾り

本年は、これまでで最もたくさんの「七夕さん」を飾る風景に出合うことが出来ました、町の老若男女がとびきりの笑顔で我が家の飾り付けを楽しまれている様子に接し、またたくさんの方々に七夕をめぐってのお話を伺い、心がおどる一日でした。

桑田家の七夕飾り

江戸時代には、幕府の財政を支え、明治以降は日本の近代化を支え続けた「銀」の町は、往時の隆盛をとどめる民家が重厚な町並を形成しています。本来、生野七夕は旧暦7月6日から7日(8月七夕)にかけて祝われ、二星をまつる棚やしつらえは、中庭に面した縁側で行うのが習いでしたが、今は、路地に面した表に立てられています。その理由ついて、復活の中心になった方々は、「行き交う町の人同士、日常とは違った風情を楽しみ、また生野を訪ねる方々との一期一会を感じ合いたいから・・・」と、話して下さいました。それは、まさに、屋根瓦と白壁の町並を舞台とした軽やかな七夕の動態展示だと思います。周囲の山から市川に向けて風が渡り、「七夕さん」も笹飾りもさやさやと音を立ててひるがえります。風鈴の音がどこからともなく聞こえる新暦7月7日の生野七夕は、すでに夏の風物詩として復活を果たした感がありました。


   七月七日、牽牛・織女、聚会の夜と為す。是の夕、人家の
   婦女、綵縷を結び、七孔の針を穿ち、あるいは金・銀・鍮石
   を以て針を為り、几筵・酒脯・瓜果を庭中に陳ね、以て
   巧を乞う。喜子、瓜上に網することあらば、則ち以て符応ずと為す。 
(七月七日、牽牛と織女が逢う夜、人家の婦女は、色糸を結び、七つの孔のあいた針、あるいは金銀鍮石で針を作り、机と筵、酒と肴、瓜を庭中に並べて、巧みを願う。瓜の上にクモが網をかけたなら、それはよい兆しである。)

武家の七夕飾りの様子 『女大学宝箱』文政12年より

中国六朝時代の『荊楚歳時記』には、七夕について上記のように書かれています。6世紀の頃には、中国の民間習俗として星祭が成立していたことを示しています。この星祭の儀礼を「乞巧奠(きっこうてん)」と呼びました。織物の巧みであることを天の二星に願うという七夕が日本の宮中に定着したのは奈良時代の頃でしょうか。正倉院には、七夕の儀礼に用いられた7本の大小の針と赤白黄三色の絹糸束が伝わっています。
やがて七夕は、機織だけではなく、書や歌、管弦をはじめ、技芸一般の巧みを乞う儀礼となり、中世、近世と時代を経て、武家から民間へも広がりをみせました。時節柄、祖霊祭としての盆行事や、実りの秋を前にした農耕儀礼などとも結びついて、地域色豊かな七夕飾りの数々を誕生させたといわれています。

江戸時代の「乞巧奠」を文献や絵画などで確認すると、縁側に2本の笹飾りと渡した一本の細い竹竿、掛け飾られるのは、五色の色糸束や着物です。そこへ床机を据えて和歌を記した梶の葉や初生りの野菜を供え、香、琴や琵琶、星を映す水盤が添えられています。
このしつらえを単純化すると、生野や播州(播磨灘沿岸部)に伝わる七夕飾りの構図が見えてくるのではないでしょうか。中国から宮中に伝えられた星祭の乞巧奠が、武家から町家へ、そして地方へと普及する過程で私たちの「七夕さん」が誕生したことを想像すると、「さやさや」「さらさら」とした七夕飾りの軽やかさの中に、長く積み重なった人々の営みが横たわっていることに気付かされます。

来年の7月7日は、皆さまもぜひ、生野七夕をお訪ね下さい。町の方々はやさしい笑顔で生野の歴史や四季折々の行事について、楽しく熱心にお話し下さることでしょう。

(学芸員・尾崎織女)

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