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blog<見学レポート>姫路市東山の七夕まつり訪問
★播州地方も節句は旧暦でお祝いする地域が多く、一般に8月7日が七夕まつりです。度々、七夕の話題で恐縮ですが、6日と7日、久しぶりに地元の七夕を見ておきたいと思い、姫路市の播磨灘沿岸地方に伝わる七夕飾りの見学に出かけましたので、少し、ご報告させていただきます。
★<ブログ「学芸室から」2008年7月7日> でご紹介した朝来市生野町だけではなく、姫路市の播磨灘沿岸地方でも、2本の笹竹の間に細い竹やトキワススキを渡して、紙衣「七夕さんの着物」を飾ります。 これは、明治時代初頭には行われていた様式で、「子どもの初七夕に<七夕さんの着物>を飾れば、その子が一生、着るものに不自由しない」とされてきました。
★昭和42年、当館の井上館長がその存在に目をとめ、全国に紹介したことで広く知られるようになったものですが、少なくなったとはいえ、この時期、白浜、八家、的形、大塩などの町々を訪ね、中庭を覗き込むと2本の笹飾りと「七夕さんの着物」がゆらゆらと風にゆれる風景を見ることができます。
★6日に訪ねたのは姫路市東山の家永家。地元のテレビ局も季節の話題として取材にこられており、カメラの前で、浴衣を着た小さなお孫さんたちが、♪ささのはサラサラ・・・♪と歌う風情もかわいいものでした。家永家では、どんなことがあっても、どんなに忙しいときでも、欠かさず、七夕飾り続けてこられたといいます。「七夕さんの着物」の中には、昭和40年代のものも混じり、家の歴史を刻んでいます。
★中庭に面して窓前に立てられた二本の笹飾りには、たくさんの短冊や切り紙細工がさげられ、渡した紐(本来はトキワススキ)を三段にして時代も様々な「七夕さんの着物」が並びます。東山の着物は自家製で、前身ごろを切り離して帯を締めるところが、他の地域と異なります。
★夜のまつりとて、提灯はつきものですが、豪華な岐阜提灯に火を入れて七夕を祝うところには、祖霊を迎える心積もりが感じられます。播州でも七夕を「七日盆」と呼ぶ地域が多いことから考えても。
★笹飾りの窓下には、小机がすえられ、西瓜、南瓜、胡瓜、真桑瓜、苦瓜、玉蜀黍、桃、葡萄などの果物や野菜、茄子で作った牛、素麺、ホッサンダンゴなどが置かれます。七夕に実りはじめたハツモノの野菜を供える風習は、播州はもちろん、全国的に広く見られるものですが、興味深いのは、東山の場合、小机の供え物とは別に、二本の笹飾りの根元に、ハツモノの野菜を括りつけること。稲、さつま芋、大豆、里芋、ホオズキなど、みんな葉や茎の部分を一対ずつ取ってきて束にしたものです。「七夕さんはハツモン喰い」と、播州ではよく言われていますが、秋の実りを天の二星に願う風習とも考えられます。
★伝承の七夕飾りをたてる家は少なくなっていますが、こうして、地道に続けて下さる方があるから、今にその姿が伝わり、また、美しい風景と楽しかった家庭での思い出が幼い子どもたちの記憶に焼き付いて、次代へと受け継がれていくのでしょう。
★日中気温が37度。テレビ局のカメラマンは、Tシャツの色が変わって、今、海から上がってきたばかり・・・というように、汗でびしょ濡れになりながら撮影されていましたが、「家庭の温かさのある、それでいて涼しげな画が撮れた」と忙しく局へ戻っていかれました。
★一夜の星祭り・・・7日の朝には、どこの家も「七夕さんの着物」や笹飾りを片付けてしまわれます。昭和30年代初め頃までは、川への流すものだったのですが・・・。
★たった一夜の二星のめぐり合いのために、心をつくして、七夕棚をこしらえ、星をまつる。提灯のあかりに浮かび上がる七夕飾りをうっとりながめ、はなやいだ表情で空を見上げる人々・・・。毎年繰り返されるその地道な行為と喜びが文化をつくるのだということを心に刻んだ七夕まつりでした。
(学芸員・尾崎織女)
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