「雛まつり~御殿飾りの世界~」 | 日本玩具博物館

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特別展

春の特別展 「雛まつり~御殿飾りの世界~」

会期
2020年2月1日(土) 2020年4月12日(日)
会場
6号館

春恒例の雛まつり展は、500組をこえる日本玩具博物館の雛人形コレクションの中から様々な時代や地域の雛人形を取り出して展示し、雛飾りの多様な世界を紹介する試みです。
今春は令和時代初めての桃の節句を祝い、江戸後期から明治時代に都市部で飾られた豪華な“まち雛”を展示するほか、京阪を中心とする西日本地域で愛された「御殿飾り雛」を時代を追って一堂にご紹介します。          

江戸から明治のお雛さま展示ゾーン<西室>

雛飾りに人形や諸道具を飾るための雛段が見られるようになったのは江戸時代のこと。はじまりの頃は、毛氈などの上に紙雛と内裏雛だけを並べ、背後に屏風を立てた平面的な飾り方で、調度類も数少なく、簡素かつ自由なものでした。雛まつりが盛んになるにつれて、雛人形や添え飾る人形、雛道具類も賑やかになり、雛段の数も次第に増えていきます。安永年間(1772~81)には4~5段、天保年間(1830~44年頃)には、富裕な町家の十畳座敷いっぱいを使うような贅を尽くした雛段も登場してきます。

『日本歳時記』(貝原好古著)に描かれた貞享頃(1684~1687)のひな遊び

そうして江戸を中心に「段飾り」が発展する一方、上方では「御殿飾り」が優勢でした。建物の中に内裏雛を置き、側仕えの官女、庭掃除や煮炊きの役目を果たす仕丁(三人上戸)、警護にあたる随身(左大臣・右大臣)などの人形を添え飾るもので、御殿を京の御所に見立てたところからか、桜・橘の二樹も登場してきます。江戸後期の生活文化の諸相を記録した文献『守貞謾稿』を読むと、はじめは屋根のない「源氏枠御殿」が用いられていたのが、天保の頃になって、屋根のある御殿も出回り始めたことがわかります。
御殿飾りは明治・大正時代を通じて京阪神間で人気があり、戦後には広く西日本一帯で流行しましたが、昭和30年代後半には百貨店や人形店などが頒布する一式揃えの段飾り雛に押されて姿を消していきました。

本展では、各時代の代表的な御殿飾り雛によって、人々の憧れや美意識、生活感などについてもさぐってみたいと思います。

展示総数  約50組

※新型コロナウィルス感染症拡大防止のため、長期休館をさせていただきましたので、今春の雛飾り(特に西室)はほとんどご覧いただけませんでした。そのため展示室の様子を画像でご紹介いたします。(東室は6月21日までご覧いただけます。)<5月31日追記>

江戸から明治のお雛さま展示ゾーン<西室>
江戸時代後期、京都で作られていた「享保雛」、江戸町で誕生した「古今雛」、京阪地方でも作られ始めた「“京阪型”古今雛」を雛屏風や大型の源氏絵屏風の前に展示しました。

江戸から明治のお雛さま

衣装を着せた座り姿の雛人形は、江戸時代中頃から次第に豪華なものとなり、京都と江戸を中心に、雛をとりまく産業も発達していきました。江戸時代に作られた雛人形は、その様式によって、元録雛、寛永雛、享保雛、有職雛、次郎左衛門雛、古今雛などの呼び名があります。毛氈の上に内裏雛を並べ、背後に雛屏風を立てた簡素な飾り方であったのが、江戸の町で古今雛が人気を博する18世紀後半には、添え飾る人形や諸道具も増えていきます。

ここでは、江戸後期、“まち雛”として優勢だった京製の「享保雛」、やがて江戸好みの雛として江戸で創作された「古今雛」、その人気に刺激を受け、モデルチェンジを果たした「“京阪型”の古今雛」の三つ様式をグループに分けてご紹介します。様式の違いによる雛人形の表情や衣装の特徴を見比べてご鑑賞ください。

江戸後期(18世紀前半から中盤にかけて)京都を中心に作られていた「享保雛」<西室>
座り姿の着付けには少し堅さが感じられます。 
江戸後期の享保雛たち<西室>
18世紀後半、江戸では「古今雛」が人気を博します。(二対とも桃柳軒玉山作)<西室> 
「玉眼」(仏像にみられるように水晶などが埋め込まれています)がほどこされ、表情か明るく華やかになりました。享保雛に比べて、自然な座り姿です。江戸では段飾りが発達し、添え人形として「五人囃子」に人気が集まりました。女雛は縫い取り(刺繍)のある長い袖のなかに手を隠しています。
こちらも江戸の「古今雛」(スペースの関係で一段目と二段目に展示しています。)
五人囃子には信州上田の人形屋の商標が貼られています。江戸から仕入れた品と思われます。
江戸末期(19世紀初頭)の「京阪型古今雛」<西室>
まだ人形の目は玉眼ではなく、面相筆で描かれており、公家風の静かな表情です。女雛は袖から手を出し、檜扇を広げ持っています。
幕末から明治時代の京阪型古今雛 玉眼が入り、現在の雛人形の典型的な様式が出来上がりました。


御殿飾り雛の移り変わり

京都では、内裏雛を飾る館のことを御殿と言いますが、その中に一対の雛を置く形式を「御殿飾り」と呼びました。京阪地方では、床の間などに毛氈を敷き、屏風を立てまわして平飾りにする様式(屏風飾り/親王飾り)も一般的に好まれてきましたが、一方で、江戸後期にはこの御殿飾りが盛んに行われていたようです。
明治時代に入ると、御殿は御所の紫宸殿(ししんでん)になぞらえたものという意識も高まり、豪華に大型化していきます。大正時代、第一次世界大戦後の好景気に沸く京阪神地方では、裕福な家庭に檜皮葺きの華麗な御殿飾り雛が登場し、木工、金工、漆工、象嵌、造花、刺繍・・・様々な美術工芸の粋を集めた一式も作られます。一方、人口集中と核家族化が進む大正時代、百貨店などが調製する一式販売の御殿飾りも量産され、京阪神地方の町家に普及をみます。

幅60~70㎝ほどの豆御殿飾り雛/源氏枠御殿飾り雛(明治前期~中期頃)<西室>
御殿飾りが登場した頃、源氏枠御殿(屋根のない「源氏物語絵巻」風の御殿)が盛んに作られていたようです。この様式は大正時代までは京阪地方を中心に愛されていましたが、戦後はほとんど作られていません。
明治時代の御殿飾り雛(手前は京都の大木平蔵製)<西室>
大正時代の檜皮葺き御殿飾り雛展示ゾーン(左から二組は京都の大木平蔵製/右の一組は大阪の谷本要助製)<東室>
大正11年、檜皮葺き御殿飾り雛(京都の大木平蔵製)<東室>
当館の展示ケースの奥行が90㎝しかないため、黒漆塗金蒔絵の雛道具は展示しきれていません。

昭和時代に入ると、京都や大阪で作られていた御殿飾りに加えて、東海地方製の御殿が関西地方にも出回るようになり、戦後、西日本一帯に普及をみた御殿飾りは、静岡製がほとんどでした。戦後復興期、屋根に鯱や千木を乗せたにぎやかな御殿は暮らしの豊かさを求める人々に夢を与えましたが、昭和40年代に入る頃には一斉に姿を消します。五段飾り、七段飾りといった段飾り雛の一式が全国津々浦々に流通をみるようになるのです。

御殿飾り雛の移り変わり展示ゾーン <東室>
中央は大正時代の百貨店(大阪難波高島屋)製の御殿飾り雛
手前は雛料理をいただく小さな祝い膳と器のいろいろです。
昭和初期から10年代の御殿飾り(大阪製と東海製)<東室>
昭和20から30年代の御殿飾り雛(静岡製)<東室>
屋根に鯱(しゃちほこ)が見えます
昭和30年代の御殿飾り雛(静岡製)<東室>
大小さまざまな御殿が作られ、西日本一帯に流行しますが、昭和37~8年頃に姿を消していきます。
大正時代の源氏枠飾り雛<東室>
屋根がないために内裏雛の表情も明るく見えます。昭和時代に入ると、この様式はほとんど見られなくなります。


<ランプの家の雛飾り>
大正時代の京都製古今雛を床の間に、大正時代の源氏枠飾りを畳の間に展示しました。

大正時代の古今雛 屏風飾り
大正時代の源氏枠飾り雛(大阪の谷本要助製)


<会期中の催事>
展示解説会
  日時・・・・2月16日(日)・2月23日(日)・3月1日(日)・3月8日(日)・3月22(日)
               ※各回 14:30~ 45分程度 
ワークショップ 
「貝合わせ」を作って遊ぼう!
  日時・・・・2020年3月15日(日) 13:30~15:00
 


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