日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

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学芸室から 2022.09.29

戦前・戦中、日本人が蒐集した中国玩具~「中国民衆玩具の世界展」より

須知善一が撮影した大孤山の泥塑玩具作者・李殿國一家(山内神斧の「吾八」機関紙『これくしょん』53・54・55合冊/1942年—千葉孝嗣氏所蔵)
大孤山の泥獅子哨・仔馬哨(遼寧省丹東市東港県級市孤山鎮・李殿國一家作/1930年代・須知善一蒐集)

1910年代から40年代、清朝崩壊から日中戦争(中国では「抗日戦争」)へと続く時代、中国民衆玩具の蒐集家のなかでは須知善一(1897-1982)の業績が突出しています。仕事で訪れた中国で、民衆が作る玩具と出合い、興味を引かれた須知は、1926(大正15)年、穀物を扱う貿易商の大豆仲買人として遼寧省大連市(当時は関東州)へ転居したのを機に、満州玩具の世界にのめりこんでいったようです。彼は、南満洲鉄道(通称・満鉄)沿線を中心に、玩具や人形の行商人が集まる春の廟会を駆け巡り、製作者をつきとめ、精力的な調査・蒐集活動を行いました。蒐集品は大連市内にある自宅のコレクションルーム「娃娃荘」に保管・展示し、日本国内の郷土玩具愛好家たちにも多数、譲渡していました。

神戸の小児科医で、郷土玩具の研究者であった尾崎清次(1893-1979)も、須知を通して満洲玩具(他の地域の中国玩具を含む)を入手したひとりです。尾崎の没後、それらはすべて日本玩具博物館へ寄贈されており、今回の「中国民衆玩具の世界展」に紹介する戦前・戦中の玩具のうちの多くが旧尾崎清次コレクションです。大陸を戦禍におとしいれた日中戦争、国民党軍と共産党軍との内戦による大混乱、さらに中華人民共和国成立後のプロレタリア文化大革命(1966~76)の旧文化破壊を経て、玩具の産地でもあった農村が疲弊し、20世紀初頭の民間玩具のほとんどが失われてしまったことから、結果として、日本人が蒐集し、日本国内に残された戦前・戦中の品々は非常に貴重なものとなってしまいました。
さて、本展ではこれらをどのように紹介するべきか、「満洲国」の樹立にかかわった日本人が当時の東北部で蒐集したという来歴が中国の方々の心を傷つけはしまいか・・・と特別展開催前には悩ましく思う気持ちも強くあったのですが、果たして展示をご覧になられた中国の方々からは、「古い時代の玩具や人形の表情は素晴らしく、じっと見つめていると胸を打たれる」「戦争という殺伐とした時代にあっても、敵味方という国と国との争いをこえて、民衆の玩具に温かいまなざしを注ぐ人たちがあったことがとても嬉しい」という感想をいただいて、胸が熱くなりました。

須知はまた、古川賢一郎、甲斐巳八郎、赤羽末吉らとともに「満洲郷土色研究会」を結成して、当時の満州の習俗を調査し、『苦力素描』(1937)や『満洲土俗人形』(1940)を出版しています。彼らの出版物が残されたことで、私たちの手元にある品々の産地やそれらが民衆の中でどのように生きていたのかを知ることができるのです。『中国民衆玩具—日本玩具博物館コレクション』(大福書林/2022年7月刊)の執筆に当たっても、先人が残した書籍に多くのことを学ばせてもらいました。

展示風景——戦前・戦中の年賀状とそのデザインの題材となった当時の玩具たち


郷土玩具界の畏友、千葉孝嗣さんからは、特別展のために、この『満洲土俗人形』などの貴重な書籍を借用しているのですが、先日、さらに『民族玩具叢書第七巻 戦線玩具報告』(小野正男著/新龍社/1943年刊)をお借りしました。

小野正男(1910-1977)は、福岡県久留米市の医師で、赤坂土人形(福岡県筑後市)の発見でも知られる郷土玩具愛好家。軍医として、天津、江蘇省、河南省、安徽省など中国各地を転戦した1937年11月から1939年12月、生死のやりとりが続く戦地で明けても暮れても負傷兵たちの治療に当たる日々の傍ら、大好きな玩具をひとつ、またひとつ・・・と見出します。戦禍にただれた街角の露店で、野戦病院ーー住人不在の民家などが利用されていましたーーで、子宝を象徴する磁器人形や民家の子どもが握りしめていたであろうぬいぐるみや美しい刺繍が施された小さな子どもの布靴(鞋)を手に抱いたときの感慨が綴られています。
———「・・・完膚なきまでに戦禍を受け、地獄圖絵をみるやうなこの廃墟の眞っ只中に、こんなきれいな布靴が殘ってゐようなどとは、まったく信じられない戦場だったからである。しかし、裏底にまでも、優美な刺繍が施してあるのを知った時、私は全く打ちのめされてしまった。そしてじわじわと襲ってくる耐へがたい感懐に眼頭がジーンと熱くなるのを覺えた」と。その感懐は、持ち主であった小さな子どもとその幸せを願って布靴を手作りした母親の悲しい運命を嘆く心ではなく、ちっぽけな靴に心を打たれ、人間らしい感情を抱いた自分自身へのいつくしみであると小野は告白しています。

この書中、小野の絵は3群しか掲載されていないので、具体的な玩具の姿を想像しにくいのですが、たとえば、彼が報告している天津蒐集の「◇布玩具」について、その記述をもとに当館所蔵品を見ていくと、これらの品々↓↓ではないかと思われます。

著者・小野正男が天津でみつけた人形や玩具について紹介したくだり

また小野が河南省信陽市で蒐集した磁器製玩具については、須知善一から「磁州(※磁州窯は河北省磁県を中心につくられた製品の総称)」のものだろうと教示を受けています。添えられた絵図を手掛かりに当館の所蔵品を見ていくと、2や3の磁器人形と河南省禹州市産の「瓷人」(1980年代)はとてもよく似ています。子宝を願うもので、宋代から続く歴史をもっているのではないかと考えられている品です。あるいは、小野の蒐集した信陽の玩具は、同じ河南省内の禹州(当時は禹県)製だったかもしれません。


このような書籍によって、私たちは失われた時代の玩具の姿や、それが今日にどのように受け継がれているのかを知ることができるわけです。一方で、その地の人々が大事にしていた品々を、その地の暮らしを壊した者たちが拾い集めて愛しむ行為については、非常に複雑な思いを抱きます。私たちの甘い平和主義や人道主義によって、厳しい時代を懸命に生きた先人たちの思考を安易に慮ったり、ましてやとがめ立てたりすることは不当であるとはわかっているのですが・・・。

本日、2022年9月29日は、日中国交正常化50周年の節目に当たります。難しい国際情勢のなかにある日中関係、——互いの国の、互いの民族の、互いの地域の小さな文化財たちが、それぞれの暮らしのなかに当たり前に存在し、大切にされる社会でありますように・・・。民衆の幸福への願いがこもった小さな玩具たちが平和を願う礎でありますように・・・。

(学芸員・尾崎織女)


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