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学芸室から 2024.01.26

クリスマスの余韻~戦後日本のオーナメントと『朝の波紋』

「世界のクリスマス*喜びの造形」展の会期も残すところ、あとわずかになりました。本展では、戦前日本の(都市部の)子どもたちに親しまれた児童雑誌やサンタクロース人形、また戦後のクリスマスツリーのオーナメントもご紹介しています。

戦前戦後のサンタクロース人形——左から、大正末~昭和初期(セルロイド製)、昭和初~10年代(セルロイド製)、昭和20年代後半(ブリキ・ソフトビニール製/ゼンマイ仕掛け)、昭和30年代(ブリキ・ソフトビニール製/電池仕掛け)

それら展示品のなかでも、多くの方々から「懐かし~い!」と歓声があがるのがクリスマスツリーに飾られた「モールのサンタ」のです。モールをまげて細工されたボディー、その両腕は短く、練物製の顔の下からのびる両脚は長く、自由に動きをつけることも出来ます。右手に緑色のモミの木をもち、サンタの色は赤、白、桃、黄…と様々。昭和20年代後半から昭和50年代半ばころに子ども時代を過ごされた皆さんが「そうそう、これこれ!! このサンタさんはよ~く覚えている。うちのツリーにもさがっていた。ちょっと不気味な感じがして、そのせいかとても印象的。あのころの我が家でのクリスマスの空気感を思い出させてくれる……。」などと遠い目をして話されます。戦後の高度経済成長が始まるころからその完了期まで、このサンタさんは輸出用として、また日本国内の家庭用として、長く親しまれていたことがわかります。いったいどれほどの数が作られていたのでしょうか。

先日は、昭和の終わりに姿を消したモールのオーナメントを再現的に制作し、お好きな方に向けて販売もなさっておられる「Retro Santa Club」のOご夫妻の訪問を受けました。子ども時代、クリスマスツリーにさがっていたモールのサンタから強い印象を受けたとおっしゃるOさんは、展示中の資料を優しいまなざしでご覧になり、「幅広い年齢層に親しまれたこのオーナメントの歴史を知りたい」とスタッフにお声がけくださいました。

「Retro Santa Club」のモールのオーナメント

❝モール❞と私たちは呼んでいますが、英語では❝pipe cleaner❞。始まりは、煙草を吸うパイプ(煙管)掃除のブラシとして1900年代にニューヨークで発明され、製品化されたもので、時代が下るにつれてクラフト素材としても活用が始まったようです。細かくねじった2本の細い針金の間に繊維を通して作られており、はじめは綿やレーヨン(ビスコース)などの繊維が使われていたのが、ポリエステルやナイロンなどの化学繊維に置き換わっていきます。日本での化学繊維技術の歴史を調べると、ナイロンは昭和26(1951)年、ポリエステルは昭和33(1958)年、ともに東レが生産を始めており、❝モールのサンタ❞は、戦後になって化学繊維モールが作られることで、商品化が可能になったオーナメントであると思われます。———けれども、いったい、誰がデザインし、どこの工場が手配し、どのような工程を経て製造されていたのか、わからないことだらけなのです。本年は、クリスマス産業に関わっておられた皆さまにお話を伺い、調べを進めていけたら…と思っています。
そして一昨日、Oさんが幸便に託して「Retro Santa Club」のサンタさんをご恵送くださいました。怖さも漂う昭和時代のサンタさんに対して、Oさんご夫妻の手で再生を果たした令和時代のサンタさんは、たっぷりとした白い髭が愛らしく、モミの木とキャンディーケーンを手に、クリスマスの夢を見ているようなやわらかい表情です。

「Retro Santa Club」のモールのサンタ

さて、❝モール❞といえば、———2022年のブログ2018年のブログでも、ご紹介いたしましたが、戦前戦後、神戸のまちはクリスマスオーナメントを製造輸出する産業でにぎわい、経木製のモール、紙製のベルやブーツなどを作る工場が立ち並んでいたと言われます。敗戦後、昭和20年代中ごろの神戸をロケ地として、クリスマス装飾品を作る工場の様子が登場する映画に『朝の波紋』(五所平之助監督/新東宝)があります。敗戦後、民間貿易が再び盛んになり、連合国からの独立が認められた昭和27(1952)年に公開された作品。———そのことを当時、この映画のロケ撮影に参加していた神戸産業(かんべさんぎょう=クリスマス関連商品の輸出入を手広く行っておられましたが、残念ながら既に廃業)の神戸会長(昭和15年生まれ)に教えていただき、ずっと観たいと想っていました。

昭和20年代後半の日本製(神戸製造)クリスマスツリー飾り

この話をRetro Santa ClubのOさんにお伝えしたところ、ネット上の情報をお知らせせくださり、DVDなども入手できたことから、この度、『朝の波紋』の鑑賞が叶いました。高架下と思われる位置に立ち並ぶ工場の様子、束ねる前の経木モール、手作業でせっせと紙製ベルにアルミ箔を貼り付ける工員さんたちの姿、made in occupied Japan時代のオーナメントの数々が映されていて、当館が所蔵している資料とまさに瓜二つ。映画では、日本の貿易会社が米国より3万ドル(当時の日本円で1千万円強)で製造を請け負うという設定でした。輸出商品づくりが大変な活況を呈していたという神戸会長のお話を思い起こすと、この取引額もリアルなものと思われます。

ほんの数分間ですが、焼野原から復興を続ける神戸でのシーンは、この映画のストーリーにとても重要な位置を占めています。高峰秀子演じる社会性をもって自立していく女性を主人公として、戦後復興にまい進する日本社会の雰囲気が伝わってくる映画です。
こうした映像なども探しながら、日本におけるクリスマス飾りの歩みなどをたどってみたいと思っています。情報をお持ちの方はどうかご教示くださいますようお願いいたします。

(学芸員・尾崎織女)

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