デジタルコレクション・3「1920年代後半の朝鮮玩具」 | 日本玩具博物館

日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

Language

展示・イベント案内

exhibition
企画展

日本玩具博物館*開館50周年記念* デジタルコレクション・3「1920年代後半の朝鮮玩具」

会期
2024年9月10日(火)
会場
日本玩具博物館ホームページ WEB企画

当館は、2022年度より2年にわたり、文化庁のInnovate MUSEUM事業の採択を受け、この事業の眼目のひとつである博物館資料のデジタルアーカイブ化に取り組んできました。現在、内部資料として登録を済ませたデータベースより、テーマごとに20~30件ずつを選んで、各月10日に公開しています。7月は「戦前(1930年代前半)の琉球玩具」、8月は現在開催中の「世界のままごと道具」、さらに「動きや音の楽しい郷土玩具(動画)」を取り上げましたが、9月は、非常に貴重な「1920年代後半の朝鮮玩具」コレクションのなかから、24件をご紹介します。このコレクションは、7月の琉球玩具もそうでしたが、小児科医にして玩具研究者であった尾崎清次氏(1893~1979)から寄贈を受けたものです。

すでにご案内のことと思われますが、尾崎清次氏のことを少し。尾崎氏は、1917(大正6)年、京都府立医学専門学校(現京都府立医科大学)卒業後、京都帝国大学(現京都大学)医学部小児科教室に、1921(大正10)年には兵庫県神戸市の児童相談所に技師として勤務します。1918(大正11)年、新婚の妻とともに和歌山を訪れた際、祠に供えられていた「桃持ち瓦猿(和歌山市の郷土玩具)」の素朴な美しさに打たれて郷土玩具への関心を深め、医師としての本業にまい進するかたわら、郷土玩具の研究にも取り組みます。1924~26(大正13~15)年にかけて、『日本土俗玩具集』(全五編)を、1929~31(昭和4~6)年には『育児上の縁起に関する玩具図譜』(全三巻)を上梓しました。

小さな起き上がり小法師

そして、1929(昭和4)年に朝鮮(現在の韓国)を、1932(昭和7)年には沖縄を訪問し、その成果を『朝鮮玩具図譜』(1934年)、『琉球玩具図譜』(1936年)に発表しています。当館は、『育児上の縁起に関する玩具図譜』(全三巻)と『琉球玩具図譜』は原版を所蔵していますが、残念ながら『朝鮮玩具図譜』は所蔵しておりません。ありがたいことに、1983(昭和58)年、村田書店より復刻版が発刊されているため、すべてが多色刷ではないのですが、尾崎氏自らが収集し、図譜に取り上げた朝鮮玩具がどのようなものであったかを知ることができます。


この企画ページでは、尾崎氏の解説を交えて、今から100年ほど前にソウル近郊で作られていた小さな玩具や民俗資料をご紹介します。子どもは自由に遊ばせるのではなく躾けるものであるという儒教思想が強い社会にあって、玩具づくりは発展しにくかったとされ、また、目鼻のある造形を傍に置くと、その目から悪鬼が忍び込み、持ち主に災いをもたらすといった畏れから、人形文化が育ちにくかったともいわれますが、尾崎氏の収集品は、そのような社会背景や精神文化を前提にしても、――日韓併合(1910年)により日本文化の影響を否定できませんが、――20世紀前半には、当地の家庭で小さな人形が自製され、商品として、朝鮮民芸の香りを留める玩具や造形物が存在していたことを知らせてくれます。

ぜひ、下記をクリックしてご覧ください。