「生野の七夕紙衣(七夕人形)」 | 日本玩具博物館

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今月のおもちゃ

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2021年7月

「生野の七夕紙衣(七夕人形)」

  • 明治末~大正時代
  • 兵庫県朝来市生野町/和紙・千代紙

七夕祭りが近づくと、兵庫県朝来市生野町の家々では、裁縫の上達を願い、千代紙を切って「七夕さんの着物」を作ります。身丈が30㎝ほどのかわいい着物で、千代紙の色や袖の長さ、帯の結び方などで男女を区別し、彦星と織姫に見立てる家庭もあります。襟元はV字に切り込んで三角形の頭を作るため、「七夕人形」と呼ばれることもあります。軒下に2本の笹飾りを1.5mほど離して立て、その間に細竹や苧殻(おがら=麻の茎)を渡したら、そこに幾枚もの七夕さんの着物を並べ飾ります。着物の下には小机を置き、初秋の野菜を供えて天の二星を拝します。


このような構図の七夕飾りは全国的にも珍しく、生野町のほかには、兵庫県姫路市や高砂市の塩業で栄えた播磨灘沿岸地方で見られるのみです。これらの地域では、初七夕に七夕さんの着物を贈られた子どもは一生、着るものに不自由しないという伝承も聞かれます。それは、江戸時代の庶民が盛んに行った「貸し小袖(着物)」の習俗を受け継ぐものと考えられます。すなはち、七夕に新しく仕立てた小袖を衣桁や衣文掛けなどに並べ飾って天に捧げれば、やがて織姫から数倍にして小袖を返してもらえるというのです。

江戸時代前期、小袖が飾られた町家の乞巧奠の様子 『案内者』寛文2 (1662)年・中川喜雲著より

古代中国に始まり、奈良時代の貴族社会に伝来した七夕祭りは、針や色糸、反物を供えて天の二星に織物や裁縫の上達を願う「乞巧奠(きっこうでん)」という儀礼でした。時代が下るにつれて、書や和歌、楽器の上達など、様々な願いが託されるようになり、やがては個人的なさまざまな願いごとへと敷衍されていきますが、生野町や播磨灘沿岸地方の七夕飾りは、織物や裁縫の上達を願った七夕の原点を伝えるものと考えられます。

日本玩具博物館は、生野町口銀谷の旧家の土蔵に眠っていた明治から大正時代製の9対と4枚、それから明治42年に奥銀谷で製作された1対を所蔵しています。

兵庫県朝来市生野町や播磨灘沿岸地方の七夕飾りについては、下記のブログでもご紹介していますので、よろしければご一読ください。

(学芸員・尾崎織女)


    <ブログ・学芸室から> 見学レポート・生野の七夕まつり  
    <ブログ・学芸室から> 見学レポート・姫路市東山の七夕まつり訪問
    <ブログ・学芸室から> 七夕紙衣(七夕に飾る紙製の着物)のこと