日本のクリスマス産業史に光を当てる活動のこと・その1 | 日本玩具博物館

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学芸室から 2026.07.01

日本のクリスマス産業史に光を当てる活動のこと・その1

●去る2025年の夏、これまでも親しくご教示を受けてきた元・神戸芸術工芸大学プロダクトデザイン学科教授の相澤孝司先生からお誘いを受け、神戸を中心に栄えた「経木モール」(桧材や松材を薄く薄く削った大鋸屑を一定の長さに整えて重ね合わせ、中心を縫い、撚りをかけることで四方八方に繊維が裂け広がったロープ状のオーナメント)の製造輸出を中心とするクリスマス産業の歴史とその実態を探究し、当時のクリスマスオーナメントのいくつかを再現していく活動(サントリー文化財団研究助成)に、原田悠里さん(2017年1月から2020年春まで当館の学芸員を務めてくださった方)とともに筆者も参加させていただいています。

●1980年代から世界各地の伝承的なクリスマスオーナメントとその背景にある文化を追いかけ、冬恒例の「世界のクリスマス展」では世界各地のクリスマス行事の意味について紹介を続けてきた当館ですが、7、8年前には、私たち自身が日本のクリスマス産業についての知識を得るべく、戦前戦後、盛大であった神戸のクリスマス産業界の中心におられた神戸産業株式会社(廃業されました)や中城産業株式会社、大前株式会社各社を訪問し、各社社長さま、戦後の様子をよくご存知の先代社長さまにもヒアリングさせていただき、示唆に富むお話をたくさん伺うことが出来ました。また明治40年代から大正時代、「経木モール」の生産地であった柏原町を訪問して、少しは明らかになったこともありましたが(2018年のブログ、2022年のブログ、2024年のブログにもその一端を報告しております)、日々のことに追われ、なかなか真剣に取り組めずにおりました。あと30年早ければ、戦前のクリスマス産業の実態を知る方々もご健在であったかと悔いつつ、ぐずぐずしていては「今」もまた刻々と過去になっていきますので、よい機会をいただいたことに感謝して、取り組みを進めたいと思ったのでした。


●神戸は、日本のクリスマス産業発祥地のひとつです。神戸産業株式会社の神戸和男会長(昭和15年生まれ)によると、そのはじまりは、神戸の居留地に住む外国人からの「クリスマスを祝うためのツリーを探してほしい」という依頼だったといいます。「ところが、欧米のモミやトウヒのような円錐型の樹形をつくる針葉樹が関西には日本にはあまり生息していないことから、明治後期のころはモミやトウヒと葉の形状がよく似た植物(マンネングサなど)を用いて、大正から昭和初期ころになると松材や桧材を薄く削った経木をモール状にしたもので枝と葉を作り、それらを組み立ててクリスマスツリーを模造していたと父から聞きました」と。

●さて、その「経木をモール状にしたもの」=「経木モール」が、戦前戦後、欧米へ輸出された大ヒット商品であったことは、本ブログや、冬の恒例展「世界のクリスマス」でも繰り返しご案内してきたことです。「経木」とは、松材や桧材を紙のように薄く削ったもの。戦前には日本全国で織物や笠などの民芸品や食器の容器、包装材料として身近で使われていました。「経木モール」は、現在、パーティールームの装飾などに使われているティンゼル風のキラキラとしたモールと同等の品で、同じ幅の薄い経木を重ね、真ん中を針金などで固定し、両端をねじることで細かいヒラヒラを作りだしたものです。白木の経木モールは赤や緑に染色されたあと、海外へと輸出され、主にはクリスマスツリーを飾るガーランドとして使われていました。アメリカの雑貨店の20世紀前期のクリスマスカタログには、「Popular Japanese Roping 」や「Tree roping」などの名称で掲載されています。ちなみに「モール」とは英語ではなく、ポルトガル語の「mogol」、ヒラヒラとした飾りをつけた織り糸などを表す言葉が語源ではないかと思われます。「モール糸」という言葉が先にあり、❝経木を織ったモール糸のようなもの❞が縮まって「経木モール」になったのではないでしょうか。

●さて、この経木モールの誕生地こそが兵庫県丹波市柏原町(旧氷上郡柏原町)です。――『柏原町志』(1955年刊)には、明治15(1882)年、柏原町古市場の大工・長田藤三郎が、桧の細い鉋屑を経糸と緯糸に見立て、それを平織した「桧織生地」を考案し、京都の山大商会がこれを輸出し始めたのが、柏原における経木工業の始まりであると記されています。明治30(1897)年には同じく古市場の岸本儀三郎が海水浴用帽子の原料として「桧シゴキ」(長さ三尺六寸=約110㎝、幅一寸五分=約4.5㎝の鉋屑を細くしごいて結束したもの)を商品として考案し、これも神戸港から大量に輸出されるようになりました。続けて『柏原町志』は、「明治40(1907)年頃、岸本幸蔵は、松材を原料とする斬新な外国向の装飾品、経木モールを製作したる処、外商の好評を得」海外からの多量の注文がきたと語ります。

*図書館にて丹波地域各地の郡誌や町誌などに当たり、関連する記述を追います

●そこで、先日、❝日本のクリスマス産業史に光を当てる活動❞の相澤先生と原田さんとともに、「経木モール」発祥の地と目される丹波市柏原町を訪ね、8年前にもお世話になった柏原町の生き字引・竹内氏と、お祖父さまが戦前の経木製品の製造に携わっておられた堅田氏から、再び、お話を伺いました。

●堅田氏からは、相澤先生がかつて訪問された折に存在が明らかになったものですが、堅田家ご所蔵の貴重な写真をあらためて見せていただきました。下の画像・左は、兵庫県氷上郡経木同業組合の「経木織物製作場」の様子、右は、明治43 (1905)年、同組合が日英博覧会に出品するにあたって、陳列のためのシミュレーションを行ったときのものです。様々な経木織物や桧シゴキなどとともに「経木モール」が映されています。


●ところで、岸本幸蔵氏が考案したという「経木モール」は、どのような着想によるものでしょうか。そこには丹波における教会(プロテスタント)の存在があったのではないだろうか(『柏原町志』によると、明治20、30年代には柏原町に講義所が設けられ、大正時代、ピーナツバターの誕生にも関わり、日本自立聖書學校を開いたJ・B・ソーントンをはじめ、柏原町は、多くの宣教師を迎えています)——という相澤先生の仮説に基づき、竹内氏に堅田氏、また丹波市の学芸員I氏にもお付き合いいただいて町をめぐりました。

●明治40年代から大正時代にかけて、神戸の貿易商とともに、日本のクリスマス産業史に一時代を築いた柏原町、けれども今では、町の古老にあっても経木工業の盛衰をよくはご存知ないというのが実情です。―――ほんの少しの資料であっても丁寧にみつめ、また、多くの目があれば、見えなかったものが少しずつ少しずつ見えてくるのかもしれません。忘れられた柏原町の経木工業に、今後、再び光が当たるとよいですね。お気づきのこと、またどのようなことでも、情報をおもちの方にはお報せ下さると本当にありがたいです。

(学芸員・尾崎織女)

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